野村 悠先生
- 経歴
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- 2002年自治医科大学卒業
- 滋賀医科大学で2年間の初期研修(スーパーローテート)
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2004年4月~2011年3月へき地勤務
2004年湖北総合病院(現湖北病院)内科
2006年から朽木診療所所長 - 2011年4月に聖マリアンナ医科大学救急医学入局
- 日本救急医学会 救急科専門医
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日本プライマリ・ケア連合学会
プライマリケア認定医、認定指導医 - 日本内科学会 認定内科医
- JPTEC 世話人
- ICLS コースディレクター
- MCLS インストラクター
- ITLS インストラクター
初期研修を経て7年間へき地勤務へ!この経験が礎に
自治医科大学を卒業後、地元である滋賀医科大学での2年間の初期研修を経て7年間へき地勤務に従事しました。この7年間は県内有数の豪雪地帯である湖北地区と旧朽木村という2つの地域での勤務でした。これらの地域では外来診療だけでなく出張診療所や訪問診療、学校医や施設嘱託医など人々の生活に近いところで医療を行っていました。村内唯一の医療機関であった診療所時代には内科、外科関係なく、0歳の乳児から100歳以上の高齢者まで対応し、診療だけでなく介護などの相談も受けられるようにし、地域の保健・医療・福祉に関する気軽な相談窓口となることを目指しました。ここで学んだことは、『医療とは人々の暮らしを支えるものである』ということです。救命救急は、今目の前で消えそうな命をつなぎとめるものであり、対極にあるようにも見えますが、私の医師としてのスタンスや考え方は今でもこのへき地勤務7年間の経験が礎になっています。
へき地での勤務は赴任期間が長くなるにつれて自分のやってみたいことも増え、大変やりがいのある充実した魅力ある仕事でした。その一方で、診療所には卒後5年目のまだまだ臨床医として未熟な状態で赴任しましたので、その地域の医療レベルが自分の未熟なレベルにとどまってしまうという懸念が生じました。そこで、ブラッシュアップのため、学生時代から興味を持っていた分野かつ、プライマリケアの質向上に適した分野でもある救急医学に卒後10年目で飛び込むことにしました。当初は数年の研修を経てへき地勤務に戻ることも考えていたのですが、種々の大人の事情により現在に至ります。
私の勤務する川崎市立多摩病院にはプライマリケア医を目指す研修医が多くいます。プライマリケアの現場を実際に経験してきた救急医として、救急目線だけでなく、地域医療目線でのアドバイスができるよう心掛けたいと思っています。プライマリケア医を目指す方、地域で頑張っておられて一定期間救急の研修がしたい方、そんなみなさんの立場を踏まえた研修が提供できるよう努めたいと思っています。